世田谷新聞掲載 エッセイ集No.02

                         (平成14年11月14日

            [正義か狂気か]
       (新たな難民を生む米国のイラク攻撃)

              松尾征治


 米国上下両院での対イラク武力行使容認決議採択、イエメン沖での仏タンカー爆破、バリ島の爆弾テロなど、またぞろきな臭さが増し、いよいよ米国のイラク攻撃が現実味を帯びてきた。

アフガニスタンでは米英両軍の爆撃によりタリバン政権が崩壊し、アフガン難民の祖国への帰還を促すことになったが、イラクへの武力行使がなされると今度は逆に、街が破壊されるばかりかサダムホセイン政権と関係のない罪の無いイラクの多くの国民が難民となって周辺国に流出していくのは必定だ。ついこの間まで私が住んでいたイランには200万人に上るアフガン難民が居たが、そんなアフガン難民の一人シャハーブと私達夫婦は不思議な縁で二ヶ月間ひとつ屋根の下で一緒に住むことになった。話しの発端はこうだ。私がテヘランで借りることになっていた建築中の家の大家に彼は建築現場の見張り役として雇われ、完成まで建築中の家の片隅に住み込むことになる。

そしてその家が完成して私達夫婦が引っ越して行った後もロンドンに居る大家からの給金が未払いだとして、そのまま我が家の玄関脇の小部屋に居座り自炊を始めた訳だ。その強引さとしたたかさに辟易させられたが、彼としては大家から給金を貰う必要があるし、大家との契約が切れると収入が途絶える為、何とか私達の家で働きたかったのであろう。その時シャハーブは18歳になっていた。

彼が語ったところでは、2歳の時アフガン内戦で腕に重傷を負った父親と母親に連れられアフガニスタンのヘラートから脱出、何日もかけてテヘラン近郊の村にたどり着き、その村でゼロからの生活が始る。その後弟や妹も産まれるが、腕の不自由な父親は仕事らしい仕事にありつけず一家はかなり悲惨な生活を強いられることになる。食べるものに事欠き野菜くずを拾い集め食べたこと。乞食の様な身なりだった為虫けら同然にイラン人から追い散らされたこと。冬場に焚く薪がなく寒い夜を過ごしたこと。そんな環境下シャハーブは何と5歳位の時から果物屋の店先で小間使いの様なことをして家族の生活を支え始めたが、その後長じるにつれ、より多くの収入を求め数えられない位いろんな職を転々とする。 我が家では門番として門の開け閉めは勿論、庭、プールの掃除、ちょっとした使い走りなど気働きの出来る便利屋の趣だった。私達はそれでも彼に多少の警戒心は持っていたが食べ物のおすそ分けをするなど心の交流も始っていた。そんな時、大家からの送金が届き、彼との奇妙な共同生活もお終いとなった。

生活苦のあまり心ならずも悪事に手を染める難民のことが現地の新聞で度々報じられていたが、難民の悲惨な生活を平和ボケと言われる我々日本人はもっと知る必要があるのではないだろうか。

米国のとらんとする軍事行動が国際テロ根絶の為の正義によるものというのは本当か。ホセイン後の石油利権を米国が視野に入れているといったことは無いのだろうか。建前と本音の使い分けに長ける国際政治の舞台で日本的情緒の基準だけで世界を見ていると大きな危険を侵すことに加担しかねない。イラク国民にとっては正義でも何でもなく、狂気の沙汰としか思えない米国の武力行使のもたらす悲劇を今一度難民に思いをはせながら考えるのも意味なしとはしないであろう。