世田谷新聞掲載 エッセイ集No.03
(平成14年12月12日)
[誤解されているイスラム教]
松尾征治
イスラム教が注目を集めている。但し、それもかなり誤解されて。かく言う私は世俗主義の異教徒ではあるが、イスラム圏のイランに住んでいた為、当然のこと乍らイスラムの戒律に無関心、無関係ではおれなかった………というよりも、むしろ時には法であり、生活に密着した社会規範であり道徳律でもあるので、ある程度従わざるを得なかったという訳だ。日々の生活でイスラムの世界が普通の世界と何が違うかといえば、先ず視界に飛び込んでくる異様な女性の服装だろう。
女性は謙虚で慎み深くあらねばならず、具体的には髪をへジャーブ(スカーフ)で蔽い、身体の線を見せない様に全身をマントで隠さなければならない。少なくとも男性にジロジロ見られるような服装は厳に避ける必要がある。男性の場合は女性の様なことはないが、時にはこんなことも。これは私自身経験したことだが、ある年の暑い7月、ノースリーブのシャツに半パンツ姿で街中をジョギングしていたところ、パトカーに追いかけられ捕まり「 そんなあられもない格好をして……… 」と、こんこんと諭され放免になったことがある。
更にテヘランの8月。いよいよもって暑い日が続く。暑い為オフイスの一部の女子社員のへジャーブが時に頭からずれ落ちることもあったかと思う。そんな暑い暑い8月のある日の昼下がりのことだ。男女4名の風紀査察官にオフイスに踏み込まれ、へジャーブを外していた者も外していなかった者も有無を言わさず、その場に居合わせた16人の女子社員をコミッティーに連行し取り調べの為、夜中まで拘束してしまうという事件が起こった。
私は監督不行き届きの責任を問われ二日後に、それら女子社員と一緒に簡易イスラム法廷に立たされ裁きを受けることになる。これらの事件は今もって私自身納得のいかない点はあるのだが、イスラムの道徳律の一部が垣間見える例であると思う。
さて、「 慈悲深く、慈愛あふれるアッラー(神)の御名において…… 」から始るコーランを聖典とするイスラムのことが特に9・11事件以来、最近のケニヤでのイスラエル人対象の同時テロ事件時は言うに及ばず、ことある毎にメデイアで取り上げられ、イスラムのイメージを大きく下げてしまっている。イスラム過激派、イスラム原理主義者、ジハード(聖戦)、シャヒード(殉教者)等おどろおどろしい単語のオンパレードの解説、論評は学校で歴史の時間に教えられた「 目には目を、歯には歯を 」式の、いかにも好戦的な表現と相俟ってイスラム教といえば不気味にして恐ろしいものとの印象を与えてしまっているのではないだろうか。かかる論評では「 貧者に施しを 」とする喜捨の精神、「弱者のひもじさ、痛みをも理解せよ」とする断食、その他各種善行の勧め、諸々の道徳律などには得てして触れられていないことが多い。
そもそもイスラム圏で何時でも何処でも毎日使われている「サラーム アリーコム」 という挨拶の言葉は普通「今日は」と訳されているが、コーランで使用されているアラビア語では本来「あなたの上に平安あれ」との意味を持つ相手をおもんぱかる言葉である。この様にイスラム教徒の多くは相手を思いやり、道徳をわきまえ、貧者、弱者に思いをはせ功徳を積む心優しい人達の筈であり決して好戦的な輩の集まりではないと思う。しかしながら事件の度毎に繰り返される偏向した論評で、イスラムに対するさらなる誤解を生み出し、本来議論されるべき事件の背景にある領土、民族、貧困(経済格差)等の根深い問題を充分に掘り下げることなく、ぼやけたままにしてしまっている罪は大きいと思うが如何なものだろう。