世田谷新聞掲載 エッセイ集No.06

                         (平成15年03月13日

        [ペルシャ商人と日本の常識]

                               松尾征治

  ペルシャ語には自分を卑小化する言葉が色々ある。例えば……あなた様の僕(しもべ)/あなた様の小さな者/あなた様の為なら犠牲を厭わぬ者/あなた様にとっては虫けらの様な存在(の私)とか何とか……全て自分、己を卑下する謙譲語である。さらにペルシャ語には次の様な意味の相手を気遣う表現もある。例えば……あなた様の(手を煩わせましたが)手にお痛みが出ませぬように/あなた様の頭をお悩ましになりませぬように/あなた様の影が薄くなりませぬように………。

  これらの言葉や表現をながめるとイラン人は決して自己中心的ではなく、相手への思いやりが感じられるというものだ。ところがである。こんな淑やかな表現をもったペルシャ語を話すイラン人も利害におよぶ話ともなると、これらの謙譲の精神や相手を思いやる気持ちを何処に置き忘れたのと言いたくなる程、態度が様変わりするから不思議だ。交渉はドライもドライ。全身これ自信の塊で己の立場や己の正当性をこれでもか、これでもかと訴え、まくしたててくる迫力は立派なものであり、たとえ相手が女性であっても例外ではない。利害が対立する時はタジタジとなるのは必至だ。

 一般のイラン人でもこうだから商売を生業とするバザールのペルシャ(イラ)商人ともなると特に値決めの時など、その比でないことは容易に想像出来よう。 値段をたずねても「お代は頂戴しないので御自由に持って行って下さい」とか「あなた様がお好きなように値段をつけて下さい」とか言って客の気をひくのも、その実、客が決して金を払わず持って行かないのを知ってのことだし、客の言い値で売る気持ちなど初めからサラサラないからだ。カーペットや骨董品などの値段のはる品物の場合、客が上客だとみれば店の扉を閉め、お茶を出し、仕入れ値の書いてある台帳(きっと高い仕入れ値を書いてある二重帳簿の方なのだろう)を繰りながら、ときにはわざとため息をついたり、じっくり料理すべく客の身柄を店内に拘束してしまう術は見事なものだ。それもその筈で、ユダヤ商人が三人かかっても一人のペルシャ商人に勝てないと言うくらいペルシャ商人は商売がうまいのである。

 中国は唐の時代の文献にイラン人の血をひくソグド人のことに関し「子供が生まれると石蜜(氷砂糖)を口に含ませ、手には膠(にかわ)を握らせる」と書かれている。これは子供が大きくなったら甘い言葉を駆使し、入った金は手のひらを握って絶対離すなという意味だ。何代にもわたり、生まれた時から親にこの様な感覚で育てられているので、そんじょそこらの商人とは筋金が一本も二本も違うのは当然だろう。

 主婦が毎日利用する八百屋とか肉屋などの小売店の場合でも、イランではお得意様になればなるほど、より高く売りつけられ、より高く買わされるらしい。何故ならペルシャ商人一流の商売哲学では「いつも来てくれるお得意様は自分の店に満足している訳だから値段を上げて高く売っても良い筈だ」となるからだ。その為、安くあげたいなら時々店を変えなければならないと言われるのだが…………。

 これが本当なら日本の常識ではとても考えられないことである。しかし、このペルシャ商人の例に見られる様に日本の常識では有り得ないと思われることでも国が変われば有り得ることが、この外にも多々あるのであろう。このことは教訓として理解しておく必要がある。