世田谷新聞掲載 エッセイ集No.13
(平成15年07月31日)
[羊飼いの魔法の棒切れ]
松尾征治
先月のことだが野球の試合をしていて、右手の人差し指を骨折した。以来この一ヶ月間、左手だけで日常の諸々のことをこなすという非日常の日々を送っている。もっとも左手だけで、どれほどの事が出来るのかと好奇心の強い冷めたもう一人の私が不自由な生活をどこかで楽しんでいるところはあるのだが・・・。慣れていないので上手く行くことは少ないけれど非日常の世界を経験することは結構面白い。失敗したら失敗したで再挑戦したくなるものである。
イランに住んでいた時、ちょっとテヘランの郊外に出ると羊の群に出会うことがよくあり、夥しい数の羊を羊飼いが短い棒切れ一つで操り整然と動かしているのがまるで魔法のように思えたものだ。時には二つの羊の群が東と西からやって来て、ぶつかり合い渦巻きのようになってもみ合い状態になることもある。しかし、それぞれの群についている羊飼いが渦巻いている所に飛んで来て、自分の群の羊と相手の群の羊を持っている棒切れで瞬時のうちに選り分けてしまう。自分の連れて来た羊の頭数を数え直すことも無く、交通整理の上、何事も無かった様に、また西と東に別れ悠然と羊の群を追いながら歩き去って行く。その姿は正に悟りを開いた古武士にも似た雰囲気が漂い、そんな光景は何度見ても見飽きることはなく、ただただ感心させられて、日頃全く接触の無い別世界に住んでいる羊飼いの羊の扱い方に興味を持った。
ある時、やはりテヘランの郊外でのことだが10歳になるかならぬかの少年の羊飼いに伴われて100頭程の羊が歩いていた。私に二つの羊の群を選り分けることは出来なくとも、100頭位の羊なら誘導することは出来る筈だと思い、少年に頼んで棒切れを貸してもらい羊の群を歩かせてみた。しかし、羊の群は渦を巻いたり、バラバラになったり大変である。あの表情の無い羊が「
お前の言うことなぞ聞かないよ 」と嘲りの表情をその目に浮かべているようにさえ見える。何分間か努力してみたが収拾不可能になり少年に棒切れを返した。そうすると羊は今までのことがまるで嘘だったようにまた整然と進んで行く。少年が振り返って私をちらっと見た。何とも満足した幸せそうな笑みをたたえて……。
単純に思えたのだが羊追いは慣れない素人の私にとって簡単ではないことが良く解った。考えてみればこの少年の父親もまたその父親も何代も前から、ずっと羊飼いとして羊を追ってきた筈だ。恐らく少年は物心のついた頃から羊を追っている父親の姿を見て、あたかも我々日本人が右手で箸を自由自在に使うように羊の扱いに慣れきっているのだろう。
今でも私の指示を羊が無視したのは何故だったのか?その理由を考えている。手懸かりは羊の習性にあるのかも知れない。もう少し研究して、いつの日か再挑戦の為、イランへ羊の大群に会いに行くことを夢想している。