世田谷新聞掲載 エッセイ集No.17

                         (平成15年10月16日

 [砂漠の民と農耕の民]

松尾征治

 私の住んでいたイランは砂漠の国である。だからイラン人は元々が砂漠の民だ。「砂漠の民は干からびた砂漠同様、潤いが無く、人情に欠け、対する我々農耕の民は細やかな気配りが出来て人情も深い」と一般に言われているようである。しかし、それは一種の幻想に過ぎないのではないかと私は思っている。挨拶ひとつとっても砂漠に住む人たちの方が我々以上に家族、一族郎党に対する思いが深いことがよく解るし、彼らの客(特に遠来の客)への配慮、もてなしなど目を見張るものがある。

 それはそうだろう。自動車も電話も無かった時代、イランがペルシャと呼ばれていた頃より遥か前の遠い昔から人々は砂漠に点在するオアシスに水を求め、時には富を得る為、西に東に駱駝で移動したはずである。そんな時代であったからこそ広い砂漠のどこかで、次にいつ会えるか解らない知人と、立ち寄ったオアシスで再び巡り合ったりすると互いの無事を確かめ、その家族、一族郎党の安否にまで気遣いあったのは当然のことであったろう。今に伝わる彼らの挨拶の仕方こそ彼らが砂漠の民であった何よりの証と言えるのではないだろうか。

 イランでは日本のように核家族になっておらず、まだまだ大家族であり親戚間の付き合いも密である。そのため知人に会うときや電話で話すときなど相手の近況を問い合わせるのは勿論だが、奥さんに始まり、その子供、両親さらには親戚のおじさん、おばさんに至るまで次から次へと近況を尋ねていくことになる。私など次々に私の家族の安否を問われるものだから初めのうちはからかわれているのかと思ったくらいだ。また遠来の客への配慮やもてなしは格別で、客が外国人ともなるとなおのことである。例えば、公園やピクニックに来ている見ず知らずのイラン人のグループに外国人である私から話しかけようものなら、例外なくお茶はもちろんのこと食事にまで誘われ、ご馳走になってしまうことになる。

 さらに、外国人の知人に対する配慮といえば、私がテヘランでいつも行っていた理髪店の親父の場合など、その典型かもしれない。イラン航空の経営するホモア・ホテル(旧シェラトン・ホテル)の二階にある理髪店の親父サミーイーとは、このホテルを出張時の定宿にしていたこともあり、かれこれ20年ちかくの顔見知りである。いつ行っても、先客が何人待っていようが亥の一番で散髪をしてくれる。もっとも散髪中の客の調髪を途中で止めてまではしてくれないが、私が店に入って行くと急に彼の手の動きが忙しくなり、あっという間に先客の調髪を終え、「さあ、あなたの番だ」と私の手を取らんばかりに鏡の前の椅子に座らせてしまう。散髪を早めに終わらされた客も、先に来て待っている客も「何故なんだ?」と何か言いたげな表情を顔に浮かべると、親父は絶妙のタイミングで「この方との付き合いは長いんだ。日本からの遠来の客を待たすわけにはいかんだろうが」と先制攻撃をかけ、客たちを黙らせてしまう。客たちは何も文句を言わず、おとなしくしているのが本当に不思議だ。それでも私が遠慮したそぶりをちょっとでもすると先客たちは目で「この親父がああ言っているのだから仕方あるまい。どうぞ」という具合に無言で顎をしゃくり上げ順番を譲ってくれるのが常である。親父の方はそれからおもむろに私の調髪にとりかかり、他の客にはしないマッサージを頭、肩、腰と充分にやってくれ料金も余分には取らない。これがこの親父流の「遠来の客へのもてなしと言うものだ」である。

 一方、我々がしている挨拶を考えてみると、彼らの挨拶と比べ淡白すぎるのではないかと思うのだが、どうだろう? 一応は相手の安否を尋ねはするものの、直ぐに「いい天気ですね」とか「よく降りますね」、「暑くなりましたね」、「冷えますね」と天気の話に移ってしまうではないか。中には相手の安否の確認をしないまま初めから天気の話だけで済ます人もいる。日本人は元々が農耕民族であり、他の場所に移動せず同じ場所に住んでいたことから、近くに居る知人に会っても互いの関心は相手の安否より農耕のための天候や稲の作付け状況の方にあったのかもしれない。

 核家族化が進み、隣人への関心も薄くなり殺伐とした東京での都会生活を指して「東京砂漠」と言われているようだが、私に言わせるならこんな表現は砂漠の民に失礼だ。「砂漠の民こそ周りの人や客人に細やかな心配りが出来る人たちなのである」とするのは決して逆説でもなければ、私の幻想でもないと思うのだが・・・。